お初にお目にかかりまして

インターネットに触れる生活を続けてきて、12年が経った頃か。

その間私は『ブログ』という情報発信サイトの存在を知りつつも、実際に触れてみる機会がなかった。別にこういった媒体に対して億劫であったりだとか、良からぬ話を耳にして意図的に遠ざけていたとか、そういうわけではない。

ただ、何事にも発信することに長けてはいない自分の内面性を知り足りて、今まで書こうとしてこなかった。人に対して有益な情報を発信し続けるだとか、前衛的になり過ぎる自分の文章力を嘆いてそういう風にしてこなかった。ただそれらのみである。

 

だが意外なことに、私がインターネットに触れ続けた12年の間で、私個人が思っている禁則を堂々と破っている者、あたかも日本語の文章にすらなっていない者はたくさんいた。強いて言うならそれが人に与える心地よい難解さであったり、人を招く物として扱われ、崇め奉られるのさえ見てしまえば、私個人のハードルなんかはありもしないも同然だった。だから書こうと思った。自分の思うように。

 

だがここまで言っておいて、作文することが何の苦でないとも私は言い切れずにいる。

確かに文を書くことのハードルは下がった。ここでは自分の思うような文章が最低限是認されることは知った。だけれども無作為に良し悪しの分けられない小文を書くことはどうしても憚られる。それは今現在のインターネットに流布する、明らかにせられない風潮だったり、自分の書いたものに対して反論で説き伏せたりする者。そういう者らを多く知ってからは私のキーを打つ手は、戸惑い都度止まる。

 

結局、私が触れてきた12年間のインターネットなど、図書館の小脇に追いやられた、誰からも読まれない陰鬱とした蔵書みたいなもので、それを手に取る者は開口一番に「奇譚だ」と言っておいて本棚に優しく据え戻すのが常である。私はそれを甘んじて受け入れるどころか、それを常にしたい。それを常にしておけば自分の作文力も苦より滲んで、もっと意味の無い物として和らいで安静に続けていけそうだからである。

 

こうも、小難しい洒落にもならない文章を書いてはいるが、私はアニメや小説、映画なんかの娯楽が好きだ。こんな文章を書く一方でいつかはアニメ、映画、小説なんかの批評をするのかもしれないからそれを心待ちにして、見て居て欲しい。

 

初めてのブログの挨拶はこんなものである。